NGOフク21は、児童養護施設経験者の居場所づくりや、就労支援、連携サポート、実態調査を行います。

ミヤンマー孤児院の歴史 (1)

ミヤンマー孤児院の歴史 (1)

ミヤンマーの友人から最近受け取った手紙のご紹介になります。送信者はミヤンマーにおいて叔父が孤児院を創設された40代の実業家です。

  1. 1953年から1954年かけて、多くの学生がプライマリーレベル試験に合格した。しかし、一部の学生は通学できなかった。当時の村では勉強するのに十分な環境ではなく、彼らはまだ児童であり、そこで、自らの人生のゴールを見出せるわけでもなく、村を放浪していた。その際、Sayadaw U Kanwineda MainthoukAnaukTaung修道院のSayadawさんや村長さんが村を放浪している若者を収容した。そうして、一次試験に合格した学生のために私立中学校を設立し、村の周辺に住まわせた。そうすれば、放浪せずに中間レベルの勉強ができるようになった。50 人の学生が集まった。 Sayadawと一部の協力者は、食料や住居、衣類を提供し、彼らの世話をした。それが孤児院に集まるようになる基盤となるものとなった。年々、学生数は増加した。 それで、Sayadawにおける四半期は、村の上層部が貧しくて家がない子供たちの世話をする協会を協議・創立することにした。
  2.  l959年の2月4日に、その協会は、WaitzarLawka”子供を救う”と呼ばれた。 そうして、彼らは教会ヤンゴン孤児院の本部と連携を図った。彼らは、国際的な社会福祉部門のリーダーシップの下で1960年から孤児院を開設し事業を実施できる端緒となった。
  3. 1964年から1965年は第2レベルになる。 1974から1975は、第三レベルとなり、社会福祉局によって固定化された。
      1977年、ミャンマーのすべての孤児院は、.SoWeitzarLawka協会により「Youngmen開発孤児院」の名称に変更して「Youngmenヤングマン開発孤児院」と呼ばれた。その時期は、Sayadaw Kanwinedaようなのリーダーシップ欠如による困難さはなかったし、私たちのすべてが自らの努力の結果、些細な対応でも優秀な学生数人は在籍ならしめた。(続き)
                                     翻訳 福田

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